鬼哭(其の四)
夜は更けていく。
(退く、か・・・。)
脳裏に、幻影が踊っている。
踊り狂っていると言った方が正しいかもしれない。
何十という自分の幻影。 全員が、自分を斬ろうとしている。 そんな目をしている。
目を受ければ受けるほど、体重は自然と下に落ち、手は自然と刀を握る。
(全員、斬り殺す。)
そのつもりで剣を振っても、一人にすら当たらない。 そのまま、全員から刺し貫かれる。
そのヴィジョンがそのまま、次の幻影を生み出す。 前に一人、後ろに一人。
後ろから切られる前に前を薙ぐしかない。 そうして、前に出た剣はいともたやすく払われ、後ろから足を切断される。
(退くとは、逃げるということか・・・?)
例えば、大勢を前にして逃げてみる・・・、
(・・・違う)
何故かは分からない。 でも、これは正解ではない。 そんな気がする。
考えれば考えるほど、沼に入り込んでいく。 幻が、目の前にいるように錯覚してしまう。
ふっと、深呼吸。
草原を凪ぐ夜風は、数十分そのまま吹き続けていた。
空の中で絡まる風ばかりを見ていた。 その全てが、目を持っているように錯覚する、また。
「・・・。」
・・・。
「・・・。」
・・・。
・・・?
・・・。
退く・・・。
・・・。
すっと、グレイは立ち上がった。
刀を抜き・・・、
構えず、右手にだらりと提げたまま、空中を眺める。
「・・・?」
ゆっくり、
後ろへそのまま仰向けに倒れようとして、、、
すっと、目の前を薙いだ。
体を起こすこともせず、倒れる自分に抗うこともせず、
それなのにグレイの体はいつも素振りでしているように、前傾姿勢で、刀を握っていた。
「・・・。」
パチン、と刀を納めた。
「ちょっとグレイ、いつまで寝てるの!? 出発するよ!」
・・・もう朝か。
見れば、窓から陽が洩れている。 この感じだと、大分太陽は高い。
「またジャンに朝ごはん食べられちゃうよ!」
すっと上体を起こし、手近な服を手に持つ。
着るついでに鏡を見た。 今日もひどい顔などと言われそうだ。
ミリアムは珍しくグレイがさっさと起きたことに機嫌を良くしたのか、鼻歌を歌いながら階段を下りていった。 すぐに、グレイもそれに続く。
1Fでは、ジャンが先にトーストをはぐはぐしていた。 思わずそう言いたくなる様な、見事な食いっぷり。
「あ~、グレイ、先にいただいてるぜ~♪」
「アタイの分は残してるんでしょうね~。」
「もっちろんですよ! 俺をそんなに食い意地の汚いやつだと思わないでくださいっ♪」
十分食い意地が汚いように見えるのだが。 まぁ、こちらも食べるのが美味く感じるから別に突っ込みはしない。
「おいしそ~♪ いっただっきま~す♪」
「提案がある。」
グレイは、椅子に座りながら言った。 ミリアムはトーストを頬張りながら(こちらも美味そうに食べる)、グレイを大きな目で見る。
「ふえ?」
「出発を一日延ばさないか?」
「へ? いいへほ、ほ~して?」
「ミリアムさん、飲み込んでから喋った方がいいと思いますよ。」
さっきまで見事な食いっぷりだった(くせに)ジャンが突っ込んだ。
う~、と眉をしかめてムグムグしていたミリアムが、ごくっと喉を鳴らしてから改めて尋ねる。
「どうして?」
「私用だ。」
グレイは、間髪いれずに答えた。
「お前達だけで先に出発していてもいい。 今日はここに残りたい。」
「え~? アタイは別にいいけど・・・。 でも理由くらい話してくれてもいいんじゃない?」
以前刀の声が聞こえると喋ったことはあったが、まともに取り合われなかった。 多分今回も納得しないだろう。
私用、で済ませるつもりだった。
「まぁ、グレイが喋りたくないって言ってるんだから、いいじゃないですか。 俺も一日くらいいいし。」
「でもな~んか面白くないのよね~、アタイ達は一日暇になるだけだし・・・。」
う~、とミリアムはこちらを見ている。
ぽそぽそとグレイはトーストをかじり始めた。
今日も刀がグレイを呼ぶであろう事は、ほとんど確信に近い形で信じている。
そして多分・・・、
その時、ミリアムはグレイをビシッと指差した。
「グレイ! 雇い主の命令! 言いなさいっ!」
「私用だ。」
「ダメですよミリアムさん、こいつはこうなったらもうしゃべりません。」
「う~~・・・。」
不服そうにしながらも、トーストをかじっている。 ジャンはというと、今日何をするかをミリアムに話しかけ始めた。
さて・・・、
簡単に腹を満たすと、宿の外へ向かった。
「あ! ・・・ん~、もう!」
ミリアムのふて腐れた顔が見える気がする。 それをなだめるジャンの顔も。
空は陽が眩しい。
村の外れ、森の近くの草原で、グレイは刀を抜いた。
右手に刀を提げ、しばらく凝然と立つ。 その間、目はどこも見ず、前を見開く。
草原が風を受け、小さなささやきで合唱を始めた。
遥か遠くまで続く草原の先まで、合唱は起こっていた。
耳を撫でるようなその音に包まれて・・・、
そして、幻影は現れる。
夜の幻影ではない。 グレイが自分で想像した、幻影。
瞬間、熱くなりそうな自分の心臓を諌める。
幻影を見ながら、
刀を右手に提げて、
しかし、構えなかった。
猛る目を抑え、逸る足を抑えた。
幻影はグレイの必殺の構えを模写し、こちらを見る。
斬る目。
殺気立つその目は、こちらを刺すように。
猛るその体は、今にも飛びかかろうと。
それを見て、グレイは、
ただ、立っていた。
そして・・・、
一陣の風が起こったとき、
幻影は動いた。
いつものグレイと同じ動きで、瞬時に長い距離を縮め、一気にグレイを斬りにかかった。
グレイはそれを見て、
ただ、それを見て、
斬られた。
その時、
グレイは、
くすりと笑った。
幻影は、霧散した。
PR